プロフィール

髙城聡之(たかぎ さとし)

経歴

福島県の小さな町で育ち、大学進学を機に静岡へ転居。卒業後は、福島市の公立幼稚園の嘱託職員として1年間勤務。その後、静岡市内の幼稚園で13年間勤務しました。現在は、木工作家として活動するかたわら、放課後等デイサービスの非常勤職員として、障がいをもつこどもたちの療育にあたっています。

 
モノ作りについて

こどもの頃からモノを作ることが好きで、空き箱でロボットやロケットを作ったり、折り紙を折ったりしていました。特に折り紙は、自分の中でのブームが何年かごとにあって、覚えている限り4回のブームがありました。

最初は、幼稚園から小学校の低学年の頃。折り鶴を折れるようになったことで、自信をもったことを今でも鮮明に覚えています。そして、この頃苦戦していたのは「はかま」。やっこさんからはかまへの変形ができずに悔しかったことを覚えています。

2回目は、高校時代。今考えると、男子高校生で折り紙をやっているって、珍しいのかな?と思ってしまいます。この時は、母が知人からもらってきた折り紙の「トトロ」がきっかけで折り紙熱が再燃したことを覚えています。折り図がなかったので、そのトトロを一度開いて構造を調べて、自分で折れるようになりました。

3回目は、大学時代。その頃は、保育園で遅番のアルバイトをしていたので、「なにか遊びで使えるものはないかな」というところから「折り紙飛行機」に出会います。

そして4回目、今のところの最後のブームは、幼稚園教諭10年目ぐらいの時です。川崎敏和先生の「カワサキローズ」に出会ったことがきっかけですね。自分の中での折り紙のイメージを覆すような作品に驚き、難易度の高い折り紙を折りまくりました。花の折り紙が中心だったので、幼稚園の壁面や卒園、入学のお祝いに活用することができました。

 
折り紙の話になってしまいましたが、とにかく小さな頃から何かを作ることが好きで、その中で工夫したり、悩んだり、喜んだりした経験が、今の仕事につながっているのかなと思います。

 
DIYに目覚めた大学時代

大学に入学し、一人暮らしを始めたことで、本格的にDIYに目覚めます。実家からもってきたテレビ台に壁紙シートを貼って色を変えたり、ホームセンターで買ってきた板やパイプを組み合わせてデスクを作ったりなど、暇さえあれば部屋の模様替えをしていたような気がします。電動工具も含めて、いろいろな道具の使い方を覚えたのは、この頃ですね。
 

DIYと保育の相性が良いことに気付いた幼稚園教諭時代

これは、今でも強く思っていることです。保育の中には、DIYを生かせる場面がたくさんあります。今でも覚えているのは、幼稚園教諭1年目に、園で使わなくなった古いカラーボックスを2つ組み合わせて、その上に天板を固定してテーブルを作ったことです。しかもキャスターまでつけました(笑) 今だったら、安全面を考えてキャスターはつけないだろうなと思いますが、そこはやはり1年目の勢いでつけてしまったのでしょうね。

静岡に移ってからは、幼稚園の自転車(大人用)に自作の紙芝居の枠を付けて、紙芝居自転車を作りました。これは、こどもたちにも同僚の先生にもなかなか好評でした。

あとは、遊びと遊びの場を仕切る「つい立て」を作ったり、クラス全員分のコマを収納できるラックを作ったり、その時の保育に必要なものを作っていましたね。
 

木工を習ったことで、作品の幅が広がる

清水のある工房へ木工を習いに行き、図面の書き方や木材の扱いなどを教えていただきました。自分のイメージしたものを設計図におこして、それを実際の作品にしていく楽しさやおもしろさ、そしてミリ単位あるいはそれ以上の精度を出すことで、より作品の完成度が増す充実感を味わうことができました。この時に作ったままごとキッチンや絵本ラックなどが、現在販売している作品のベースになっています。
 

幼稚園教諭を辞めて、今に至る

たくさんのこどもたちに自分の作品を届けたい、頭の中にあるいろいろなアイディアを形にしたいという思いから、長年勤めた幼稚園を辞めて、現在の「スマイル工房」を立ち上げました。まだまだ始めたばかりで軌道にも乗っていませんが、保育者としてのこれまでの経験を生かして、少しずつ活動の幅を広げていければと思っています。
よろしくお願いします。

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