Leeson1−4 保育の思想と歴史【保育原理】保育士試験合格への道

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Lesson1−4 保育の思想と歴史【保育原理】

人や施設、著作物の名前など、暗記する内容が多く出てきます。覚えるのは大変ですが、実際に保育の現場に入ると、意外と役に立つものが多いのも事実です。繰り返しの学習で、しっかり覚えていきましょう
 

→Lesson1-1保育の意義【保育原理】はこちら

→Lesson1-2保育所保育の基本【保育原理】はこちら

→Lesson1-3保育の目標【保育原理】はこちら
 

  

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諸外国の保育の思想と歴史

ルソー

フランスの思想家。著書の「エミール」が有名です。
教育法としては、無用な教えや干渉を排した「消極的教育」を主張しました。
 

オーベルラン

ドイツの大学で神学や教育学を学び、1767年に、ドイツとフランスの国境の山間部に牧師として赴任しました。世界最古の保育施設を設立したとされており、国外にも影響を与えました。
 

ペスタロッチ

スイスの教育実践者で、貧困にあえぐ子どもたちの教育に従事しました。主な著書に「隠者の夕暮」「幼児教育書簡」などがあります。
 

オーエン

イギリスに「性格形成学院」を開設し、子どもと保護者の教育を行いました。教育の中で叩いたり罵倒したりすることを批判し、愛情をもって子どもに接することを重視しました。
 

フレーベル

ドイツにキンダーガルテンを開設しました。保育における遊びの重要性を説き、自ら考案した「恩物」と呼ばれる遊具の普及に努めました。
恩物を使った保育を取り入れている園もあり、保育者としては必ず覚えておきたい人物ですね。
 

エレン・ケイ

スウェーデンの女性解放家で、「児童の世紀」などの著者です。日本の女性解放運動に大きな影響を与えました。
 

モンテッソーリ

1907年「子どもの家」において、障害児教育を幼児教育に応用しました。子どもに適した環境を与えることを大切にし、子どもが主体的に生活・学習ができる環境構成がなされました。
また、一連の教具を開発し、それらの環境を整えることが保育者の重要な役割であると提唱しました。日本でも「モンテッソーリ教育」に基づいて保育をしている園も多いですね。

 

 

日本の保育の思想と歴史

次は、日本の人物についてです。個人的には、カタカナよりも漢字の名前の方が覚えやすいのですが、みなさんはどうでしょうか?

倉橋惣三(くらはし そうぞう)

保育現場で、最も名前を聞く保育の歴史上の人物だと思います。それまでの主知主義的、一斉訓練的な保育を排して、自由主義的、生活的保育を提唱。子どもが気づかないうちに保育の目的に導く「誘導保育」を実践しました。
代表的な著書には「幼稚園保育法真諦」「育ての心」「子供賛歌」などがあります。
 

生活を生活で生活へ」←倉橋惣三と言えばこれ!という程、有名な言葉です。
 

川田貞治郎

知的障害をもった子どもの教育の先駆者です。藤倉学園の初代園長です。キリスト教的博愛精神に基づき「知的障害は治る」とし、教育法の確立が必要と考えました。
 

石井十次

ルソーやバーナードの影響を受けた児童福祉事業家。「岡山孤児院」を創設、大阪に「愛染橋保育所」を開設しました。
 

留岡幸助(とめおか こうすけ)

救護事業の制度化に力を注ぎ、「家庭学校」を設立。農作業などをとおして、少年の感化教育を行いました。
 

城戸幡太郎(きど まんたろう)

社会中心主義を主張し、保育問題研究会を創設しました。
 

野口幽香(のぐち ゆか)

貧しい家庭の子どもたちにも幼児教育を行う必要性を感じ、二葉幼稚園を開園しました。この幼稚園は、1916年に二葉保育園と名称を変えました。
 

 

 

日本の保育施設の歴史

東京女子師範学校附属幼稚園(現お茶の水女子大学附属幼稚園)1876年(明治9年)

日本最初の幼稚園として設立されました。当時の政府は、フレーベルのキンダーガルテンの影響を受け、幼稚園を設置することが日本の近代化の一つであると考えていたようです。
そのため、フレーベルの門下生であった松野クララ(クララ・チーテルマン)が主任保母になり、フレーベルの恩物を取り入れた保育を実践しました。
しかし、この時代に幼稚園に通うことができたのは、上流階級の限られた子どもたちだけでした。
 

ちなみに、松野クララはピアノがとても上手だったようです。当時はまだ珍しかったピアノを弾いて、幼稚園に通う子どもたちと遊戯を楽しんだ保育者の第1号と言われています。

「幼稚園の先生=ピアノ」という図式は、松野クララが作ったと言ってもよいかもしれません。
 

ピアノが苦手な方向けに、こんな記事もあります。

→ピアノを弾けない僕が10年以上保育を続けられた理由
 

守孤扶独幼稚児保護会

日本人による最初の本格的な託児所といわれている施設です。新潟静修学校に併設された保育室が発展したもので、母子家庭や工場に働きに出る夫婦の幼児などを預かっていました。
 

家なき幼稚園

1922年に橋詰良一により開設されました。大自然の中で子どもたちを自由に遊ばせるため、自動車に郊外へ行き、露天保育を行っていました。
 

 

まとめ

人物の名前と、施設の名前やその概要など、繰り返しの学習で覚えていくことが大切ですね。時間があれば、倉橋惣三の「育ての心」、ルソーの「エミール」などを、実際に読んでみるのもいいかもしれません。昔の言葉や言い回しなので、最初はかなり読みにくいですが(笑)、保育者として一度は読んでおきたいですね。
 

それでは、第4回目はこれで終了です。おつかれさまでした。
スマイル工房の髙城でした!

この記事を書いた人
さとし

二児の父。静岡在住。年間100以上の本を読みます。
趣味のDIYや読書について投稿します。
最近はダイエットにも挑戦していて、半年で10kgの減量に成功しました。

DIY、健康、読書メインの雑記ブログです。

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